エッセイ
2025年07月04日 03時04分

ジュンパ・ラヒリの『翻訳する私』で感じた、言語を超えた旅の魅力

こんにちは!今日はジュンパ・ラヒリの『翻訳する私』について、心に浮かんだことをお話ししたいと思います。普段から本を読むのが好きで、つい一日中カフェで本を読んでしまう私ですが、この本は特に心に残りました。なんていうか、言語の魔法みたいなものを感じたんですよね。

言語の海を泳ぐということ

ラヒリは英語作家として成功していたのに、あえてイタリア語という新しい言語の世界に飛び込んでいきました。この決断を聞いたとき、私はなんだかワクワクしてしまいました。だって、新しい言語を学ぶって、まるで新しい世界に飛び込むみたいなものですよね。私自身も学生時代にフランス語を学んだとき、単語一つ一つがまるで新しい友達みたいで、楽しかったことを思い出しました。

でも、ラヒリの挑戦はもっと深いんです。彼女は「言語的亡命」という言葉を使って、自分の心の中での大きな変化を表現しています。英語からイタリア語への移行は、彼女にとっては単なる言語の変更ではなく、新しいアイデンティティを見つける旅だったんだと思います。私も、たまには日常から離れて、違う場所や文化に触れることで、自分を見つめ直すことがあるので、その気持ちが少しわかる気がします。

エコーとナルキッソスの神話が教えてくれるもの

この本の中で、ラヒリがエコーとナルキッソスの神話を使って翻訳者の役割を説明している部分がありました。エコーは、他人の言葉を繰り返すしかできない存在として描かれていますが、ラヒリはこのエコーこそが翻訳者だと言います。この部分を読んで、私は胸が熱くなりました。翻訳者って、確かにオリジナルの言葉を反響させる存在だけど、実はその中に自分自身の解釈や感情も少しずつ混ざっているものなんですよね。

それに、ナルキッソスが自分の姿に恋をしてしまう話も、翻訳の面白さを教えてくれます。オリジナルと翻訳の間には、まるで鏡のような関係があるって、なんだか哲学的で素敵ですよね。私も、時々自分の思いがどこから来て、どこに向かっているのかを考えることがありますが、そんなとき、言葉の持つ力を改めて感じます。

変化を受け入れる勇気

ラヒリの「変容を翻訳する」という章では、彼女の母親への思いが強く伝わってきました。母親が亡くなったという最も大きな変化を受け入れながら、彼女は翻訳という作業を通じて、自分自身を再構築していくんです。この部分は、私も涙が止まりませんでした。人はみんな、何かしらの変化を経験します。そのとき、どうやってそれを受け入れ、前に進むのかは大きな課題ですよね。

私たちが日々の中で経験する小さな変化も、時には大きな意味を持つことがあります。それをどう受け入れ、どんな風に自分の糧にしていくか。ラヒリの翻訳の旅から、そんなことを考えさせられました。

翻訳の持つ力

この本を読み終えて、翻訳って本当に素晴らしいものだなと改めて思いました。私たちが普段あまり意識しないで読む本の中にも、翻訳者の心が詰まっているんですよね。彼らがいなければ、私たちはきっと多くの物語に出会うことができなかったはずです。

最後に、ラヒリの言葉を借りて言いたいのは、「翻訳は原作の死後の生」だということ。言葉が生まれ変わり、別の場所でまた新しい命を得る。このプロセスを思うと、翻訳って本当に不思議で魅力的なものだと感じます。

『翻訳する私』を通じて、言語の持つ力や翻訳の重要性を改めて感じることができました。言葉が持つ魔法に、もっとたくさんの人が気づいてくれたら嬉しいです。

咲

本を読むのが、とにかく好きです。小説、ノンフィクション、マンガ、絵本、自己啓発、レシピ本まで、なんでも気になる「ジャンル雑食派」。休日はよく本屋さんやカフェで一日過ごしています。

「本はもっと気軽に読んでいい!」が私のモットー。本を難しく語りすぎるのはちょっと苦手で、「楽しい」「泣いた」「めっちゃ好き!」と素直に感じたまま、書評を書いています。

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