エッセイ
2025年07月03日 21時47分

「穏やかなゴースト」が教えてくれたもの――中園孔二の絵と人生に触れて

中園孔二との出会い

今年の夏、私は家族と香川を訪れる機会がありました。まさかうどんツアーが家族の旅行先の決定打になるとは思ってもみませんでしたが、讃岐うどんの本場を巡る旅は、結局私たちに大きな驚きと感動をもたらしました。でも、その旅で私の心を最も動かしたのは、実は一杯のうどんではなく、中園孔二という画家の存在でした。

香川の旅の途中、丸亀市の猪熊弦一郎現代美術館をふらりと訪れた時のこと。ちょうどその時、中園孔二の企画展が開かれていて、その展示に圧倒されました。正直言って、彼の名前をそれまで聞いたことはありませんでしたが、そのエネルギッシュな作品群に私は心を奪われました。彼の絵には、明るさと暗さ、暴力と慈しみが複雑に絡み合っていて、観る者を強く引きつける力がありました。

中園孔二の人生を追って

中園孔二についてもっと知りたいと思わずにはいられなかった私は、帰宅後すぐに本書『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』を手に取りました。本書を読み進めるうちに、彼の短い生涯とその作品に秘められた物語に、ますます引き込まれていきました。

中園孔二は、1989年に神奈川県で生まれ、25歳という若さでその生涯を閉じた画家です。彼の人生は、まるで一瞬の閃光のように輝き、そして消えていったように思えます。それまでバスケットボールに情熱を注いでいた彼が、突然「絵が描きたい」と言い出し、見事に東京藝術大学に合格するまでの経緯は、まさに才能の爆発を感じさせます。

彼の作品を観るとき、私はいつも「彼は何を感じ、何を求めていたのだろう」という問いを心に抱きます。中園の作品には常に“向こう側”から何かがやってくる感覚があり、それをどうにかして掴もうとしているように見えるのです。彼が残した言葉「絵は、それを作る人間がどこかへ行く時に、体が進んでいる瞬間に現れる」とは、まさに彼自身の創作の姿勢そのものだったのかもしれません。

彼が遺したもの

中園孔二が亡くなったのは、2015年の夏のこと。香川の海で事故に遭ったとされています。彼の遺品として見つかった『カラマーゾフの兄弟』の上巻や紙パックの麦茶は、彼がどんな旅路の途上にいたのかを物語るようで、どこか切ない気持ちにさせられます。彼が見ようとしていた景色は、どんなものだったのでしょうか。

本書の中で多くの人が語る中園の姿は、彼が生きた証そのものです。同級生や先生、家族や友人たちが語る彼のエピソードは、どれも温かく、そして彼がどれほど人々に愛されていたかを感じさせます。特に印象的だったのは、彼の中学時代の担任の先生の話です。部活から走って戻ってきて、汗だくのまま先生にお茶を差し出す中園の姿。そんな彼がこの世からいなくなってしまったことに、先生は深い不条理を感じているという言葉が、胸に残ります。

読後の余韻

本書を読み終えたとき、私は静かに泣きながら、彼の人生について思いを巡らせました。中園孔二の作品は、彼が生きた証のひとつとして、これからも多くの人々の心を揺さぶり続けることでしょう。それはまるで、彼自身が私たちに向けて伸ばした手のように感じられます。

私もまた、彼の作品を通して、自分の“向こう側”にある何かを探し求めているのかもしれません。中園孔二の絵は、これからも私の心の中で、静かに共鳴し続けるでしょう。彼の短くも輝かしい人生に思いを馳せながら、私は自分自身の道を歩んでいく勇気をもらいました。

晴斗

晴斗

福岡在住、静かな読書が好きな会社員です。ノンフィクションや地方の物語を読みながら、自分の暮らしをゆっくり整えています。派手な本よりも、じんわり心に残る本が好きです。読書は、静かだけれど豊かな旅だと思っています。

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