サム・バンクマン=フリードの迷走と夢:『1兆円を盗んだ男』を読んで
私は本を読む時、いつもその登場人物たちと心の中で会話をしている気がします。特に今回読んだ『1兆円を盗んだ男』のサム・バンクマン=フリードには、何度も「なんで?」と問いかけずにはいられませんでした。彼の行動の一つ一つが、まるで現実と夢の境界を行ったり来たりしているようで、妙に引っかかるのです。
サム・バンクマン=フリードという人間の輪郭
サムという人は、まさに現代の「変人」と呼ばれるにふさわしい人物でした。彼が築き上げた暗号資産取引所FTXの成功と、その後の破綻劇は、まるでジェットコースターのような展開です。20代で莫大な富を築いたかと思えば、一転して犯罪者として逮捕される。私の中で彼のイメージは、まるで夜空を駆け抜ける流れ星のようでした。
彼が自称していた「効果的利他主義者」という言葉が、特に私の心に引っかかりました。人類全体の幸福度を増すために金を稼ぐというのは、確かに壮大な夢です。でも、それがどこまで本気だったのか、彼の言動を追う中でどうしても疑問が残ります。なんだか、本当に彼はそれを信じていたのか、それともただの言い訳だったのか、読んでいてもやもやが募るばかりです。
破綻の背景にあるもの
FTXの破綻については、いくつかの報道を通じて知ってはいましたが、実際の細かい経緯をこの本で読んで、改めてそのカオスさに驚かされました。会社の資産がどこにあるのかすら把握していなかったという、信じがたい無秩序さ。彼が目指す「無限の金の使途」が、結局どこか現実感を欠いていたように思えます。
特に印象に残ったのは、サムが100万人の顧客から集めた150億ドルのうち、約半数をアラメダに貸し付けていたという事実。そんなに大きな額を動かしていながら、そのリスクをどう考えていたのか。私には到底理解できない部分が多かったです。彼がどんな夢を見ていたのか、そしてなぜその夢が現実に結びつかなかったのか、その狭間で揺れる彼の姿を思い浮かべると、胸がざわつきます。
夢の壮大さと現実のしょーもなさ
この本を読んで感じたのは、夢と現実のギャップの大きさです。サムと彼の仲間たちは、破綻する数週間前まで、莫大な寄付計画を立てていました。夢の規模感は壮大で、私もその一端を目にすることができたなら、それ自体に心を揺さぶられたかもしれません。でも実際には、その夢は実現しませんでした。壮大な夢が一瞬で崩れ去る様子は、ある種の悲劇でもあります。
そんな彼らの姿を見ていると、どうしても私たち一人一人が抱える夢と現実のアンバランスを考えさせられます。彼らの夢がどんなに壮大であっても、現実が追いつかなければ、ただの幻想に過ぎない。私自身の生活にも、そんなギャップを抱えている部分があるのかもしれないと、ふと考えてしまいました。
『1兆円を盗んだ男』は、サム・バンクマン=フリードという一人の人間の成功と失敗を通して、私たちに夢と現実、そして人間の持つ純粋さと愚かさを再認識させてくれる一冊でした。読むほどに、彼の迷走の背景には、私たち自身の抱える何かがあるように感じられました。