心の深淵を覗く旅『意識はどこからやってくるのか』を読んで
こんにちは、北海道の小さな町で本屋を営んでいる私が、今日もまた一冊の本と深く向き合う時間を持つことができました。今回手に取ったのは、信原幸弘さんと渡辺正峰さんの共著『意識はどこからやってくるのか』です。この本を読み始めると、まるで未知の領域を旅するような感覚に包まれました。
哲学と科学の狭間で
本書は、哲学と科学の対話を通じて、人間の意識という深遠なテーマに挑戦しています。哲学者とAI研究者が、意識の本質について激論を交わす様子は、まるでお互いに異なる言語を話す者同士が、共通の地平を探し求めるかのようです。なんだか、私はその様子を見て、自分が子供の頃に祖父と交わした会話を思い出しました。祖父は古い文学を愛し、私はまだその世界観を十分に理解できずにいましたが、それでも私たちは言葉の橋を架けて、互いの思いを共有していたのです。
そんな記憶がよみがえるのは、この本の中で交わされる対話が、どこか懐かしさを感じさせるからかもしれません。特に、哲学的ゾンビやクオリアといった難解な概念に触れるたびに、私は自分の存在意義について考えずにはいられませんでした。コウモリの世界認知に関する章では、「私の意識とは一体何なのか?」という問いが心に刺さり、頭の中で何度も反芻することになりました。
機械の中に生きる私
「マインド・アップローディング」という概念について考えるとき、私はふとSF映画のワンシーンを思い出しました。人間の意識が機械にコピーされ、身体は消えても心は生き続ける──そんな未来が現実になるかもしれないと思うと、何とも言えない不安と期待が入り混じった気持ちが湧いてきます。
本書の中で語られる「私」という存在が、機械の中でどのように再現されるのかという議論は、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」の現代版のようです。この問いに対する答えを見つけることはできませんでしたが、考え続けることそのものが重要なのだと感じました。哲学と科学が交わるこの場所で、私たちはどこまで「私」を理解できるのか──その探求の旅はまだまだ続くのです。
終わりなき問いの先に
この本を閉じた後も、私はしばらく意識というテーマについて考え続けました。日常の中でふと自分が何を感じ、何を考えているのかを意識することがあります。その瞬間に、私の意識はどこからやってきているのだろうと、改めて不思議に思うのです。
祖父と過ごした時間、子供たちに絵本を読み聞かせるひととき、そしてひとり静かに本を読む時間──これらすべてが私の意識を形作る一部なのだと気づきます。この本は、そんな日常の中に潜む大いなる問いを浮かび上がらせ、私の心に新たな視点を与えてくれました。
結局のところ、『意識はどこからやってくるのか』は、答えを見つけるためではなく、問い続けることの大切さを教えてくれる一冊です。これからも私は、この本をそっと本棚に置いて、時折ページをめくりながら、自分の意識について考え続けるでしょう。それは、心にやさしい読書でした。