ノンフィクション
2025年08月16日 15時53分

静かに燃える詩の世界:『斜塔から』を読んで感じたこと

こんにちは、私は京都で哲学と文学を学んでいる大学生です。毎日、本を読むのが日課で、読書を通じて私の心にどんな変化が起こるのかを楽しみにしています。今日は、平林敏彦さんの『斜塔から』という詩集を読んだ感想をお話したいと思います。

十代の感受性と詩の力

この詩集を手に取ったのは、何か静かに心を揺さぶられるものを求めていたからです。平林さんが19歳のときに書いた詩が収められていると知り、何とも言えない期待感に包まれました。十代のころ、感受性が豊かで、世界をどう見ていたのか。私も学生なので、その時期特有の感情の揺れに共感できる部分があるのでは、と感じました。

詩集のなかでも、「斜塔」という詩は特に印象的でした。「わたしは蹠を/かすかな/思念のやうに/砂に埋めた」という表現に、思わず立ち止まりました。何かを埋めるという行為が、踏み込むことなく、ただそこにあるという感覚が、どこか痛々しいのです。でも、なぜかその痛みが心地よい。自分の中にもそうした静かな感情が潜んでいるのかもしれない、と思わせてくれる一節でした。

内向的な私が感じた、詩の奥深さ

私は普段、内向的で、自分の気持ちを表に出すのが苦手です。でも、詩を読むと、自分の中の言葉にならない何かが刺激されるのを感じます。この詩集もまた、私にとってそうした作用を持つものでした。特に「径」という詩の中の「星屑のやうにしろい/雞卵の殻を踏んで歩いた」というフレーズが心に残っています。殻を踏むことの儚さと、その音のかすかな悲しみ。それを静かに受け止める十代の感性が、私には美しく思えました。

詩の中で描かれる風景は、どこか現実離れしているようで、でも確かに実在するもののように感じられます。これは詩の力なのでしょう。詩を通じて、私たちは普段見過ごしているものに気づかされ、また自分自身の奥底にある感情とも向き合うことができるのです。

静かに燃える感情と、その先にあるもの

平林さんの詩には、静かに燃えるような感情があります。戦争という背景を考えると、その静けさがかえって強烈に感じられます。特に「熱処理工場」という詩の中の「白木槌が祈禱のやうな響を」という一節には、静かな中にも力強さが感じられます。熱処理される鋼のように、詩人の心もまた熱く、しかし静かに燃えているのです。

そして、そうした詩の背景には、戦後の詩に対する批判や、戦争協力への怒りがあると知り、これらの詩がただ静かなだけではない複雑な感情の表れだと気づかされました。私自身、詩を読むことで、表面的には見えない深層の感情と向き合うことができました。

詩を通じて未来を見つめる

詩集の中で、平林さんが戦後に書いた批評文も紹介されています。その中で、詩に対する激しい批判が展開されており、若さゆえの情熱と、詩に対する真摯な姿勢が感じられました。私は普段、詩を読むとき、どちらかというと感覚的に捉える方です。しかし、この詩集を通じて、詩を通じて何かを訴えようとする強い意志を感じ、詩が持つ力を改めて考えさせられました。

詩は、ただ美しくあるだけではなく、時には社会に対する批判の声ともなり得るのです。そして、その声は静かであればあるほど、より強く響くことがあるのだと感じました。平林さんの詩は、まさにそのような力を持っているのだと思います。

この詩集を読み終えて、私の心には静かな余韻が残りました。詩の世界に触れることで、私自身の中にある小さな感情の変化を見つけることができた気がします。詩は、まだ言葉にできないものと向き合う時間を与えてくれます。そして、その時間を通じて、私たちは少しずつ何かを見つけていくのかもしれません。

……たぶん、そういうことなんだと思います。結論は出せないけれど、これが今の私の読み方です。

一ノ瀬悠

一ノ瀬悠

京都で哲学と文学を学ぶ大学生です。読書は、まだ言葉にできない気持ちと静かに向き合う時間。小さな喫茶店で本を読みながら、たまに日記のような読書ノートを書いています。

物語のなかに静かな絶望や、小さな希望を見つける瞬間が好きです。

タグ
#内向性
#平林敏彦
#感受性
#戦後文学
#詩集