六千年を駆ける碗の物語に心を奪われて
不思議な縁で出会った『コレクター蒐集』
ある日、図書館の棚を整理していると、ふと目に留まったのがティボール・フィッシャーの『コレクター蒐集』でした。表紙には古めかしい碗が描かれていて、その瞬間、私はこの本に惹かれました。思い返すと、子どもの頃から何かしら集める癖があったなと。小石や切手、時には意味もなく拾った何か。そんなことを思い出しながら、本を手に取りました。
碗が語る物語の不思議な魅力
この本の語り手は、なんと碗なんです。六千年以上の歴史を持ち、形を自在に変えられる碗が、様々なコレクターたちの手を渡り歩く様を描いています。碗が語る物語は、まるで短編小説のように濃密で独立しています。それぞれのコレクターたちが持つ執念や哀愁が、碗の目を通して新鮮に感じられるのです。読んでいるうちに、私自身がその碗になったような気がして、時間を忘れて引き込まれていきました。
あるコレクターが冷凍イグアナで弁護士を殴るシーンには、思わず笑ってしまいました。ちょっと奇妙な光景ですが、その背後にある彼の人生や心情を思うと、なんとも言えない哀愁が漂ってくるのです。この本の面白さは、そんな風に笑いと哀しみが交錯するところにあるのかもしれません。
ローザの現在と過去
碗の物語に加えて、ローザという女性の視点がまた興味深い。彼女は物に触れることで過去を見通す能力を持っているんです。ある意味、私たちが本を読むときの感覚に似ていますよね。本の過去に触れることで、私たちもその時空を旅しているような。ローザの現在の生活もまた、どこか滑稽で悲哀に満ちています。彼女が恋の相談で有名なコラムニストを井戸に閉じ込めてアドバイスを強要するシーンには、思わず笑ってしまいました。どんなに分かりやすいストーリーでも、誰しもが抱える孤独や欲望は、こうも滑稽に映ることがあるのかと。
ローザの親友レタスと、手癖が悪く身持ちの悪い女ニキとのやりとりも印象的です。彼女たちの会話は、まるで『セックス・アンド・ザ・シティ』の一場面を見ているようで、現代的な女性たちの生き様を垣間見ることができます。彼女たちの赤裸々な会話の中に、私たち自身の日常が重なって見えるのです。
碗から学んだこと
この本を読み終えた後、私は自分がこれまでに集めたものを振り返ってみました。物を集めるという行為は、単なる所有欲だけではなく、その背後にある記憶や感情をも集めているのだと。この本を通して、集めることの意味を再認識しました。物には、それを集めた時の自分や環境が刻まれているのです。
『コレクター蒐集』は、単なる小説としてだけでなく、私たちの日常を見つめ直すきっかけを与えてくれます。碗が語る物語を通じて、人間の欲望や執着、そしてその裏に隠された孤独を感じ取ることができました。ティボール・フィッシャーの絶妙な語り口に、私はすっかり魅了され、また新たな本との不思議な縁を楽しむことができました。