戦国の謎に挑む旅:『異聞 本能寺の変』が描く光秀の新しい姿
はじめに:歴史に潜む謎
こんにちは。私は福岡出身の20代後半、ちょっと変わった読書家です。もともとは理系出身で、エンジニアとして働いていましたが、本の世界に足を踏み入れたのは、大学時代に偶然手に取った一冊のノンフィクションがきっかけでした。それ以来、本は私にとって「静かな対話」の相手であり、少しずつ自分の世界を広げるための旅の手段でもあります。
そんな私が今回手にしたのが、萩原大輔さんの『異聞 本能寺の変: 『乙夜之書物』が記す光秀の乱』です。戦国時代のミステリー「本能寺の変」に新たな光を当てたこの本は、私にとって思いもよらない発見の連続でした。歴史の常識を覆すということに、最初は半信半疑だったのですが、ページをめくるうちにどんどん引き込まれていきました。
光秀の不在説に驚く
まず、何よりも衝撃的だったのは、明智光秀が本能寺にいなかった、という説です。この本で紹介されている『乙夜之書物』という史料には、光秀が実際には本能寺から8キロメートル離れた鳥羽に控えていたと記されています。これを知ったとき、私は正直、驚きと同時に少しの戸惑いを感じました。「そんなことが本当にあったのか?」と。
それでも、著者の萩原さんがこの新説を裏付けるために行った調査の過程を読み進めるうちに、次第にその可能性に納得せざるを得なくなりました。例えば、光秀の家臣たちが鳥羽にいたと証言していること、そしてそれが当事者からの直接の証言であることなど、非常に説得力があります。この部分を読んでいると、まるで自分がその時代にタイムスリップして、現場を見ているような錯覚に陥りました。
歴史の真実を再考する
実は、私がこの本を読みながら思い出したのは、中学校の歴史の授業です。黒板に書かれた「敵は本能寺にあり!」というセリフを、クラスメイトと一緒に大声で叫んだことが懐かしい。その頃は、光秀が信長を討つというシンプルなストーリーに、何の疑問も持たなかった。しかし、この本を読んでいると、歴史というものは単なる過去の出来事ではなく、解釈や証言によって常に形を変えるものだと気付かされます。
「本能寺の変」という出来事自体が、果たして私たちが知っている通りのものだったのか?萩原さんの述べる新説は、そんな私たちの固定観念を揺さぶります。これを機に、歴史の教科書に載っている内容も、もっと多角的に見ていく必要があるのかもしれません。
心に残る本との出会い
この本を読み終えたとき、私は静かに目を閉じ、しばらくの間その余韻に浸りました。歴史にはまだまだ知られざる物語がたくさん眠っている。そんなことを考えながら、心のどこかで「じわじわ、きました」という感情が湧き上がってきました。派手さはないけれど、これは本当に良書です。
『異聞 本能寺の変』は、単なる歴史の再解釈にとどまらず、私たちが普段あまり考えない「裏側」に触れることの大切さを教えてくれます。歴史の授業を超えた、静かだけど熱い対話がここにあります。この本を通じて、あなたも新しい「歴史の旅」に出かけてみませんか?