戦時下の子どもたちの記憶を辿る旅: 『学童集団疎開史』を読んで
ある日、図書館の棚を整理していた時に、ふと目に留まったのが『学童集団疎開史: 子どもたちの戦闘配置』という本でした。このタイトルだけで、私の心に何かが引っかかりました。「戦闘配置」という言葉が、子どもたちに向けられていることに感じた違和感。それと同時に、この本がどんな真実を伝えているのか、知りたいという気持ちが湧いてきました。
疎開という名の戦略
読んでいくうちに、疎開という言葉が元々「歩兵操典」の中の軍事用語だったと知り、驚きました。私の中では「疎開」と言えば、何となく子どもたちが安全な場所で過ごすための避難というイメージがあったんです。でも、実際には「戦力温存」という目的があったということを知って、少しショックを受けました。
政府が「我が家は我が手で守れ」と避難を禁止していた時期があったなんて、今の平和な時代に生きている私には想像もつかない話です。その後、建物疎開が進められ、家を失った人々が縁故疎開を強いられる状況。そんな背景の中で行われた学童集団疎開の実態が、著者の逸見勝亮さんによって丹念に描かれています。
子どもたちの耐えた日々
本書には、疎開先での子どもたちの生活がどれほど過酷だったかが、詳細に記されています。必要なカロリーの半分しか与えられず、体重が減少していった子どもたち。一日1930キロカロリーが必要な六年生男子が、924キロカロリーしか与えられないという事実には、空腹の辛さを想像するだけで胸が痛くなります。
疎開先でいじめや差別に苦しんだ子どもたちの話も、読んでいると胸が締め付けられる思いです。特に心に残ったのは、淋病が蔓延したという記録。千五百七十一人の女子の間に広がった病気の背景には、どんな絶望や苦しみがあったのか。直接的には語られていないけれど、そこに潜む闇を感じずにはいられませんでした。
歴史の記憶を繋ぐ意義
私がこの本を通して感じたのは、歴史の中で忘れられてはいけない記憶があるということです。感傷的な回想ではなく、公文書に基づく冷静な分析が、逆にその事実の重さを際立たせています。戦時下での子どもたちの体験は、私たちが戦争を語る上で絶対に切り離してはいけないものだと改めて思わされました。
そして、私自身の記憶を呼び覚ましたのは、震災後に訪れた東北のことです。あの時、被災地で出会った人々の中にも、戦争を生き抜いた世代がいました。彼らが語る記憶の断片が、戦後の日本を形作ってきたのだと、あの時も今も強く感じます。
この本を読み終えて、今の平和を当たり前だと思ってはいけない、自分の中で記憶をしっかりと受け継いでいくことが大切だと改めて感じました。『学童集団疎開史』は、そうした意識を持たせてくれる一冊です。読後に残るのは、単なる知識ではなく、どこか自分の中に芽生えた新たな視点。戦争の記憶を心に留め、未来へと繋げるために、この本を手に取ってみてはいかがでしょうか。